日本に普及、木村秋則さんの無農薬栽培

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奇跡のリンゴ農家。木村秋則さん。世界ではじめて完全無農薬、化学肥料ゼロで、リンゴを栽培し、収穫に成功した人です。木村秋則さんの本を読むと、不思議な体験がたくさん出てきます。その中でも木村さんが、リンゴの木に話しかけている場面が印象的です。木村さんが話しかけなかった木は後に枯れてしまったということです。木村さんの自然とともに生きる信念は、十年の困窮をのりこえて見事に無農薬栽培を成功させました。農薬栽培を受けたリンゴは、麻薬中毒の患者のような状態になっているそうです。農薬の助けがないと、成長することも花をつけることもできません。その病的な状態のリンゴが、完全無農薬でも花を咲かせて、実を実らせるように変えていくこと。

木村秋則に天が味方する理由

それはたいへんな試行錯誤と努力を要する道のりでした。しかし、木村さんは農薬で皮膚炎をおこした奥様の手を見て、なんとか無農薬栽培を実現させたいと必死で取り組みました。木村さんは、成功するまで近隣の農家に毎年、「今年もやりますのでよろしくお願いします」と挨拶にまわられたそうです。無農薬栽培への偏見や敵意がある状態でがんばり続けることはとても苦しいことであったはずです。しかし、それを乗り越えて夢を実現するべく、木村さんは近隣農家に頭をさげて回ったのです。普通の人にはとてもできないことです。木村さんの人生には不思議なエピソードがたくさんあります。まるで神仏に守られて、導かれているとしか思えない人生です。

木村秋則の無農薬野菜は雑草が土を耕す

無農薬栽培で有名な木村秋則さんの農法について書かれた本を読んでいると木村さんがリンゴ畑の雑草を除去しないで、そのままにしているという記述があります。雑草をそのままにしておき、九月ごろになると短く刈るそうです。雑草は根を土の中に深く下ろすことで、 土を耕すのと同じ効果があるそうです。雑草のおかけで土がふかふかのやわらかいものになっていくのだそうです。無農薬栽培を始めたころは、道路のそばに生えている雑草を刈り取ってそれを堆肥のかわりにリンゴのまわりに置いたそうです。雑草からは種がとび、いろいろな雑草が生えてきたといいます。ところが、数年のあいだに、生えてくる雑草の種類が変遷してきたそうです。土がまだ、農薬に汚染されてたときには、道路周辺に生えるような雑草が生えてきたそうです。

雑草が必要な理由を木村秋則が解く

それが次第に種類が変わってきて、現在は、別の雑草になって安定しているそうです。これは雑草が土質を改良し、土を耕して、必要な栄養が含まれた土へと変えていっているのだと思われます。たしかに荒れ地ができた最初に生えてくる雑草は、決まっています。それが次第に種類が変化し、数年すると全然違う雑草になっています。さらに次第に小さな木の苗が、どこからともなく種が飛んできて生えてきます。こうした自然の仕組みが、木村さんの畑の中でおこったのでしょうか。自宅の庭でも、雑草の種類が次第に変わっていくことは経験されます。不思議な自然の営みです。

木村秋則さんの不思議な話

1988年5月、木村秋則さんのリンゴ畑には、リンゴの花が11年ぶりに咲き誇りました。完全な化学農薬ゼロ、化学肥料ゼロでのリンゴ栽培が成功したのです。この11年間、木村さんは極貧の生活を家族と過ごしました。一か月三千円の生活費だったといいます。食卓にはハコベ、アケビの新芽、ギシギシなどの雑草が並びました。無農薬栽培をはじめた木村さんはリンゴがまったく実らない状況で、経済的な苦境に耐えなければなりませんでした。税金も払えず、家財も畑も差し押さえの対象になり、二反あった田んぼも手放してしまいました。実家の借金、アルバイトで食いつないでいた木村さんは、ついにお金を手当するあてもなくなり、銀行に相談にいったそうです。常識で考えるとこのような事例でお金を貸す銀行はないでしょう。しかし、銀行の支店長の特別の計らいで二百万円を借りることができました。このお金を期日に返済にいったとき、支店長が「期日を守ってくれただけで十分です。このお金は持って帰って皆に返しなさい。十年たったら見通しがつくだろうからそのときに返してもらうので」と言ってくれたそうです。後でわかったことは、その支店長が借金を肩代わりしてくれていたのです。一面識もなかった支店長がなぜ、そこまでしてくれたのでしょうか。

木村秋則に天佑神助がある理由

この支店長は弘前大学の学生だったときにリンゴの研究をしていた農学部の学生だったのです。そして、リンゴ栽培に農薬が多量にいることに疑問を持っていたそうです。木村さんの話をきき、その情熱に感銘を受けた支店長が、だまって助けてくれていたのです。支店長は自分の給料から一部返済をしてくれ、定年のときに退職金ですべてを返済して肩代わりしていたのです。この話は、奇跡と呼んでもよいエピソードだと思います。まさに「天はみずから助けるものを助ける」ということですね。

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